掛川城

見学日 2000年8月(城郭フォーラムのオフ会)、2006年2月(クラブツーリズム)
所在地 静岡県掛川市掛川

 2006年2月18日(土)に再訪しました。今回は、2000年に行ったときと違い、NHK大河ドラマ「功名が辻」のためもあり、多くの見学者がいました。
今川義元の跡を継いだ今川氏真が、武田信玄の攻撃を受け駿府を脱出し、重臣朝比奈氏の掛川城で再起を目指したのですが、今度は武田信玄と示し合わせた徳川家康の攻撃を受けます。しかし徳川家康の大軍の攻撃にも城は容易に落ちませんでした。結局徳川家康は、密約を条件に今川氏真を講和により、掛川城を開城させました。
 1590年の徳川家康の関東移封後は、山内一豊が入り、掛川城に望楼型の天守閣を造ったのを始めとして、近世の城郭に造り替えます。因みに山内一豊は、この望楼型の天守閣を気に入り、関ヶ原の合戦後に土佐に移った際にも、高知城の天守閣を望楼型にしたと言われます。
山内氏が土佐に移った後は、徳川の譜代大名が色々変って入ります。

 写真は復元された掛川城の大手門で、大きな櫓門です。
元の位置を発掘調査して、正確に復元したものですが、道路と家屋の関係でやむを得ず50メートル北にずらしてこの場所に復元したものです。
門の通用口は、片開きの潜り戸になっています。
 写真は掛川城の天守閣を大手門付近から見たものです。
目立つ場所に見えるので、この天守閣の立地の良さが分かります。掛川城の天守は、日本で最初の本格的な木造の復元天守で、その内部は同じ森林にあった青森ヒバを使用しています。
 掛川城の天守を近くから見たものです。この天守閣の復元は、東京から掛川市に転居してきたある婦人の、掛川市に対する多額の寄付がきっかけとなったそうです。その方は、最初に1億5千万円を市に寄付され、最終的には5億円という大金を寄付されました。その方がいなければこの天守閣の姿は見ることが出来なかったかもしれません。
 天守閣再建の総事業費は、最終的には12億円となり、他の7億円のうち5億円は市民からの寄付で賄いました。平成5年に天守閣が完成し、公園整備を行い平成6年にオープンしました。
参考「戦国武将夫妻のパートナーシップ」(小和田哲男・榛村純一編 清文社)
 写真は現存する太鼓櫓(時を知らせるもの)です。元の位置は三の丸にありましたが、昭和30年の市庁舎の新築に際して現在の本丸へ移されました。
写真は現存している二の丸御殿です。地震で倒壊したものを1855年から1861年に掛けて再建された貴重なものです。7棟からなる書院つくりの建物で、部屋数は約20あります。
 写真は二の丸御殿の内部です。部屋の中に入って見学が出来ます。
二の丸御殿が現存するのは、この掛川城の他には、京都の二条城だけです。

参考 現地説明板等
    「掛川城のすべて」(掛川市教育委員会社会教育課 平成8年3月31日) 

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