勝間田城

所在地  牧ノ原市勝田
見学日  2011年3月17日 

 勝間田氏はこの地を本拠とする豪族で、勝間田成長は鎌倉幕府の御家人となり、その子孫の長清は「夫木和歌集」を編纂している。元弘の乱(1331)年には、河内の赤坂城・千早城の攻防に一族が攻撃側と守備側に分かれて参戦している。室町期には、応永の乱(1399)や永享の乱(1439)に活躍している。応仁の乱がおこると、今川氏と対立し、今川義忠の猛攻の前に文明8年(1476)ついに落城、一族は四散した。
勝間田城は応永年間に勝間田定長が築城したといわれている。文明8年の落城以降、この城が再び使われたという記録は見当たらないが、遺構からはその後に手を加えられた形跡が認められる。 

 

    三の曲輪です。写真で分かる通りかなり広い曲輪で、二の曲輪とともに、戦国期に改修された可能性があると考えられているそうです。
    二の曲輪の虎口です。土塁をただ切っているだけの簡単な造りになっています。
    二の曲輪です。ここには11棟の掘立柱跡と、1棟の礎石建物がありました。中世の山城で礎石を持った建物があるのは大変珍しいことです。発掘調査でも青磁、白磁、天目茶碗等多様な食器が出てきています。
    本丸と二の曲輪との間の堀切です。
    本丸から見た二の曲輪の建物跡です。本丸と二の曲輪の距離がかなりあることがわかるとおもいます。
    本丸の南東部に伸びる尾根では、五重の堀切が切られています。

参考  現地説明板  「静岡の山城 ベスト50を歩く」(加藤理文・中井均編 サンライズ出版) 

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