興国寺城

所在地  沼津市根小屋字赤池
見学日  2007年6月9日  行った時には整備計画の看板がありましたので、現在はもっと整備されていると思います。

 興国寺城は北条早雲が初めて城主になった城として有名です。延徳3年(1491)北条早雲は伊豆へ侵攻すると、興国寺城は再び今川氏の城となり、今川義元が天文18年(1549)に改修し本格的な城郭になりました。その後今川氏が衰退すると北条氏と武田氏の争奪する城となります。元亀2年(1571)には武田氏の城となり、天正10年(1582)には武田氏の滅亡により、徳川氏の城になりました。
徳川氏の関東転封以後は、中村一氏の家臣河毛重次が城主となる。関ヶ原の戦いの後には、天野康景が城主となる。しかし天野氏の家臣が百姓を殺害したことにより、天野康景は改易となります。慶長12年(1607)興国寺城は廃城になります。

    写真は2の丸から本丸方向(1段高くなっている所)を見たところです。整備されていますが、本丸の虎口などは消滅しています。
本丸は2段になっていて、後ろの林のように見える部分(上段)があります。
    写真は本丸です。写真後ろに見えるのは、本丸西側の土塁です。
    本丸から本丸の後ろの壇(上段)を見たところです。写真が小さいので分かりにくいのですが、石垣で出来ています。この石垣は南側だけにあります。
    本丸の北側にある大堀切です。この堀切は深く規模が大きいのでこの城の見どころです。
    本丸の上段(天守台とよばれている所)の平坦地から、北側の曲輪を見たところです。
この天守台とよばれる平坦地には、発掘調査によって2棟の建物があったことが分かっています。
    本丸の上段の西側には、やはり平坦部があり、西櫓台とよばれています。そこから本丸の下の段と2の丸を見たところです。
    本丸南側の大堀切を下から見たところです。
この城のあるところは、3方向が深田足入れとよばれ、天然の泥田堀に守られていたそうです。この泥田堀はほとんど埋められているがまだ所々に池等となって残っているそうです。

参考  現地説明板等  「静岡の山城 ベスト50を歩く」(加藤理文・中井均編 サンライズ出版) 

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