高岡城

所在地  高岡市古城   現在は高岡古城公園となっています。
見学日  2009年9月13日

 加賀藩二代目当主前田利長は、慶長10年(1605)家督を弟利常に譲り、富山城へ移りました。慶長14年に富山城が焼失した後、高岡に城を築きました。城の設計はキリシタン大名として有名な高山右近が行い、自然の地形を活かした堅固な城を築きました。城の完成前から前田利長はこの城に移り住み、城下町の造成も行いました。
慶長19年前田利長は病没し、高岡城は翌年の一国一城令により廃城となりました。その後加賀藩は、米蔵や塩蔵を城の跡地に置き、高岡を物資の集積地としました。

    写真は「民部の井戸」と呼ばれているもので、高岡城の三の丸にあります。
高岡城には城内に井戸が数か所ありましたが、そのなかでもこの井戸がもっとも大事なものとして云われており、その後屋根を付けて今日まで保存されてきました。
    高岡城は広い水堀がそのまわりを取り囲んでいます。写真は本丸南側を囲む水堀です。
    二の丸から本丸へ入る土橋を本丸から見たところです。土橋の両側は石垣で造られています。
    本丸には射水神社があります。写真は本丸にある前田利長公の像です。
明治になり、高岡城は民間へ払い下げる予定でしたが、服部嘉十郎らが公園指定の請願書を県に提出し、彼らの尽力により、城跡は現在公園として残りました。
    高岡城の水堀は大変広く、本丸や田の曲輪を取り囲んでいて、城域の約3分の1を占めると云われています。
加賀藩は、城の実質的な保全を図ったため、濠はほとんど築城当時のまま残されています。

参考  現地説明板等  高岡古城公園散策ガイド(高岡市役所 花と緑の課) 

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