富山城

所在地  富山市本丸
見学日  2009年9月13日 

 富山城は天文元年(1532)越中の豪族水野勝重が築城。勝重は後に神保長職と名を改めた。神保長職は上杉氏と戦い敗死、その後天正4年に城は上杉謙信の領するところになる。その後天正7年、越中は織田信長配下の佐々成政が封じられ、佐々成政は富山城を居城として整備した。
佐々成政は豊臣秀吉と対立したが、降伏し、肥後に移される。加賀前田家が越中を支配し、前田利長は隠居して富山城に入るが、火災のため焼失し高岡へ移った。
寛永16年(1639)前田利常の次男は10万石で分封される。万治4年(1661)年築城許可を受け、富山城の増改築工事を行い、5層の天守を持つ城に生まれ変わった。以後明寺まで13代続きます。 

    城の天守閣風の建物ですが、富山市郷土博物館です。
昭和29年に建てられたコンクリート造りの建物ですが、本丸の入り口の鉄御門の石垣城に建てられています。その後の模擬天守建築のさきがけとなりました。
    平成15年から約2年をかけて耐震改修工事を行い内装も一新しました。
本丸跡が城址公園となっています。写真のように石垣があるのは、城門のあるところ2か所で、その他は土塁になっています。
    本丸正面の門でしたので、内枡形門となり、巨石も使用されています。
江戸時代には石垣の上には、多聞櫓が建っていました。
    搦め手に近い所の石垣です。
    藩主の隠居所、千歳御殿の城門で、平成20年に搦め手門跡に移築されました。富山城唯一の現存建築遺構です。

参考  現地説明板等  「定本 日本城郭事典」(西ヶ谷恭弘編 秋田書店)  「日本の城」(山川出版社) 

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