新府城            


見学日 2002年4月11日 近畿日本歴史倶楽部
所在地 山梨県韮崎市

 有名な長篠の合戦から6年後の1581年に、城は築かれ同時に武田氏の本拠も躑躅ヶ崎から此処に移した。しかしこの城も、翌年の織田軍の侵攻の際には役に立つことなく、勝頼は自らこの城を焼かねばならなかった。この際武田勝頼の嫡男信勝は並いる重臣に対して、「各方は、甲府の館が簡素なのは信玄公の無分別であった、等と批判してこの城を築かれた。躑躅ヶ崎の館を焼き払ったのは、それだけの覚悟があったのでござろう。それを今さら新府城は未完成であるからといって、また他所へ移ろうなどとは女々しいにも程がある。ここで潔く切腹すべきでござる。」と言った。

 西三の丸(手前側)と東三の丸を分ける土塁。城跡は雑草なども刈られています。
 左側が二の丸の土塁。向こう側が、七里岩と言われる釜無川に望む断崖絶壁になっている。
 本丸。二の丸からの入口は、城内を見通せなくするため蔀の構えになっている。
 東出構。出構は、外郭の一部を長方形に突き出させた鉄砲陣地で、約100メートル隔てて西出構があり、2つの出構で十字砲火を浴びせようとしている。

参考 現地説明板等



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