姫路城


見学日 2003年9月13日 歴史にふれる会に参加。その他にも2回ほど見学。
所在地 姫路市本町

 皆さんご存知の、1993年12月に我が国で初めて世界文化遺産に登録された姫路城(国宝)です。姫路城は、1333年に播磨の守護赤松氏が砦を築いたのが始まりと云われています。戦国時代には、小寺氏、黒田氏がここに拠っていますが、黒田官兵衛の時に、豊臣秀吉がここを毛利氏攻略の根拠地として、現在の本丸に3層の天守閣を建てています。
現在の姫路城は、池田輝政が1601年から8年かがりで建てられたものです。姫路城は、豊臣家がまだ大坂にあり、西国に多く残っていた豊臣系大名を牽制する目的もあり大きな規模の城が建てられました。


写真は、城の南側の国道2号線に沿うようにある中濠跡です。木の向こう側に見えるのが、土塁です。
 姫路城の濠は、内濠から螺旋状に続いています。中濠は、城の北側・西側・東側は現在も残っているところもありますが、南側は埋められています。更に中濠沿いにあったいくつかの城門は、石垣で出来た虎口などを見ることが出来ます。
 2003年9月13日の見学の案内は、主に香山宏氏が説明をしてくださいました。
織田信長や豊臣秀吉の城の石垣には、墓石や灯籠などが使われていることが多いが、姫路城にも使用されいます。写真の中央の石垣の石は、古墳の石室の石だそうです。
 姫路城は、姫山(本丸)と鷺山(西の丸)の二つの山に造られた城です。写真は、西の丸の百間廊下から犬走りや化粧櫓を写したものです。
西の丸は、池田輝政が亡くなってから姫路城主となった本多忠政が築いたもので、本多忠政の嫡男忠刻とその妻千姫(徳川秀忠の娘で元は豊臣秀頼の妻)の住まいとして建てられました。
 写真は瓦屋根ですが、軒に垂れ下がっている逆三角形のものが、脊椎瓦と言われるもので、雨だれを落とすためのものです。朝鮮半島に同じような技術があり、秀吉の朝鮮出兵の際にその技法を持ち込んだものではないかと思われるそうです。
姫路城は白鷺城とも呼ばれるように、白壁の美しい城ですが、それは建物が白漆喰総塗籠になっているためです。これは、当時普及していた火縄銃の連射による攻撃でも、延焼しないようにしたものです。
 大天守閣内部にある「開かずの間」です。見学した年のNHK大河ドラマは、宮本武蔵でしたので、そのためでしょうか、特別公開されていました。もちろん中で一生懸命本を読んでいるのは宮本武蔵です。(^^ゞ
天守閣内部の柱などの木材には、その場所(何階の屋根の何方面の柱など)が刻まれているものがあります。修理などのメンテナンスのためでしょうか?
 姫路城の大天守と小天守の連立天守閣です。姫路城には国宝8棟、重要文化財は74棟もの建築物があります。現存天守閣が残っている12の城のなかでは、姫路城の大天守は1番の大きさになります。更に連立天守閣が、完全な形で当時のまま残っているのは、姫路城だけです。
現存天守閣の中の階段は、どこも急勾配ですが、当日案内の講師の方の話では、姫路城は天守閣自体が大きいので、現存天守閣の中では一番勾配が緩い、所謂登りやすい天守閣とのことでした。それでもかなりの急勾配なのは、やはり守りのためでしょう。

参考 「姫路城 遊歩ガイド」(寺林俊編 神戸新聞総合出版センター)
    現地説明板等・当日の講師(香山宏氏・楠戸義昭氏)の説明等


城の目次へ戻る