篠山城         


見学日 2001年5月12日 単独
所在地 兵庫県篠山市北新町

 この地は戦国時代は波多野氏の居城の矢上城の支配下にあった。波多野氏は織田信長配下の明智光秀の丹波侵攻に対して、頑強に抵抗しました。このため明智光秀は、母親を人質に出して波多野氏の投降を誘ったといわれます。しかし投降した波多野氏を織田信長は許さず、殺してしまう。その為に明智光秀の母親も殺されることになり、以後光秀が信長を恨み始めたとも言われます。
 徳川家康は1609年、豊臣家に対する西国大名の押さえとして、矢上城西方の篠山に天下普請で城を築く。城の縄張りは、名築城家の藤堂高虎が行いました。城は、2つの馬出と、本丸二の丸の壮大な石垣が残っています。

 篠山城の東馬出と内堀です。東馬出は、本丸への大手口にあたります。水堀に囲まれた馬出が良好に残っているところは少ないと言われます。
 南馬出を内側から見たところです。ご覧のように、内側は土塁で囲まれています。ここを取り巻く水堀は、東馬出の水堀に比べると広いです。
写真で分かるように2つの馬出の形は、角馬出(四角形)になっています。
 2の丸を囲む壮大な石垣は見事です。家康が、あまりにも堅固に造りすぎたというので、天守閣を造らせなかったと言われます。
 大書院は学校などとして利用されており1944年まで残っていましたが、火災により消滅しました。
しかし、2000年に復元された大書院は、礎石や平面古図から内部を含め忠実に再現されています。
 大書院内部。私が行った時には、まだ木の香りがしていました。
篠山市は、史跡を大変大事にしている市であると感じました。

参考 「日本の名城・古城ものしり事典」(小和田哲男監修 主婦と生活社)
    現地説明板等



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