二条城

見学日 2003年2月2日その他にも3回ぐらい見学しています。
所在地 京都市中京区

京都市の二条城は実は何回か建てられています。現在の徳川氏の建てた前には、織田信長の建てたものと、豊臣秀吉が建てた二条城がありました。織田信長が建てた二条城は、本能寺の変の際に明智光秀の軍勢の攻撃に会い焼失します。 秀吉はやはりその近くの二条通りに二条城を建て自分の宿城としますが、やがて聚楽第が出来上がるとそちらを利用し、二条城は所司代として利用されます。
 現在の二条城は徳川家康が築き、それを徳川家光が拡張したものです。近畿の諸大名に築城を命じた家康の二条城は、現在の東側半分です。当時の天守閣は、現在の二の丸の西北にあったようです。

 

 写真は、東大手門です。鉄板が貼り付けられていて、大変大きく堂々としています。この門を入ると直ぐ右手が、番所になっています。
二条城に最初に行ったのは、高校の修学旅行でした。故郷の小さな城ぐらいしか見ていませんでしたので、随分大きな城だという印象が残りました。
 東大手門を入って左手に行くと見えるのが、写真の二の丸御殿唐門(重要文化財)があります。写真が小さくて分かりにくいのですが、彫刻や金色の金具で飾られ、大変豪華な造りになっています。お城の門として、こんなに飾られているのは例外中の例外のような気がします。
 写真は二の丸御殿です。現存する御殿としては最大規模のもので、国宝になっています。建物は、左斜め奥に雁行状に建っています。手前の入口のように見えるのが玄関車寄せで、その直ぐ左奥に見える大きな建物が遠侍で、大名の供が控える部屋があります。その後ろには式台、大広間、黒書院、白書院があります。
ここの大広間では、15代将軍徳川慶喜が大政奉還を諸大名に告げたところでもあります。
 写真は本丸御殿です。現在の本丸御殿は、京都御所にあった旧桂宮邸を明治になってから移築したものです。
 本丸は主に徳川家光の時代に築かれたものです。この際には多くの建物と建材などが伏見城から移されたそうです。
 現在は天守台の石垣だけが残っていますが、かつては伏見城から5層の天守閣が移築されました。しかしその天守閣も寛延3年に落雷により焼失し、その後は天守閣は再建されませんでした。石垣の高さは21メートルもありなかなか立派です。

参考 「名城を歩く 二条城」(PHP研究所)
    現地説明板等

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