広島城

所在地 広島市中区基町 

見学日 2010年10月9日 

 毛利氏はそれまでの居城としていた郡山城から、この広島城を築城してここを本拠にします。築城は中国地方の大大名としての規模を持つ大城郭であったので、天正17年(1589)から慶長2年(1597)になってもまだ工事が続けられているほどでした。城は太田川の河口に造られた平城でした。
しかし関ヶ原の合戦で西軍の大将となった毛利輝元は、領土を大きく削られ、この城を出ていくことになります。
その毛利氏に代わって、広島城入って来たのが関ヶ原の合戦で大幅に加増された福嶋正則でした。
しかし福嶋正則は、元和3年(1617)の大洪水による城の修復と、三の丸普請の無届を幕府に咎められて改易になります。その後には浅野長晟が封じられ幕末まで続きます。

 

    東門跡から本丸に入ります。入ると石段がありそこを登ると大本営跡(明治の日清戦争の時に設置されました)があります。
元は本丸御殿があったところです。
 写真は天守閣近くにある天守閣の礎石です。昭和33年の天守閣の再建に際して、もと天守閣柱下の礎石を掘り起こして原形のまま移したものです。
    本丸西北には天守閣があります。大天守の左右に小天守がある複合連結式の天守でしたが、昭和20年8月の原爆により破壊されました。
天守閣は昭和33年鉄筋コンクリートで外観復興されました。
    天守閣を下から見たところです。角にあるのは石落としです。天守閣の石垣は見事ですが、16世紀末期の文禄から慶長初年の石垣手法を如実に物語る貴重な遺構です。
    二の丸ですが、本丸中の門の手前にある角馬出になっています。三の丸から城に入る表門(橋御門)です。
二の丸は、表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓を周囲に配置し、内部には馬屋、番所、井戸がありました。
江戸時代後期の姿を基準にして整備されています。

写真は表御門と平櫓です。
    二の丸の太鼓櫓と多聞櫓です。
平成元年の広島築城400年を記念して、発掘調査や陸軍の作成した実測数値、当時の写真等をもとに復元したものです。
    夜に水堀を歩いて1周しました。ライトアップされた天守閣です。天守閣だけでなく、ライトアップされた二の丸の門や櫓も水堀に姿を移して綺麗でした。
広島城は、都会の中心にありますが、広い水堀と二の丸、本丸の石垣が良く残っていて見応えのあるお城でした。

参考 現地説明板  「日本の名城・古城もの知り辞典」(小和田哲男監修 主婦と生活社)
             「名城を歩く19 広島城」(PHP研究所) 

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