亀居城

所在地  広島県大竹市小方2丁目 亀居公園となっています。
見学日  2010年10月13日 

 

 亀居城は関ヶ原の戦いの後に広島城へ入った福島正則が毛利氏へ対する境目の城として築いた広島城の支城です。慶長8年(1603)に築城工事を始め慶長13年に完成しました。隣接する毛利領では、南西方向約8キロメートルに吉川氏がやはり境目の城として岩国城を築城している。両城とも国境に面する最前線の城としての役割を持ていました。しかし亀居城は完成してわずか3年後の慶長16年(1611)に取り壊されます。元和の一国一城令が出る前に取り壊されたのは、何か事情がありそうです。「よみがえる 日本の城7」(学習研究社 2004年11月発行)では、徳川幕府の新規築城に対する圧力があったものと考えられる、とあります。大坂冬の陣が始まるのが慶長19年(1614)ですので、あるいは豊臣系の大名と見られていた福島正則の城のためかもしれません。現地の説明板でも、このころ福島正則に対する幕府の圧力は非常に厳しいと、書いてありました。

     この城はとても支城とは思えないほどの規模と石垣でした。廃城となったため当然当時は石垣は取り壊されて特に角の部分はきっちり壊されたと思います。しかし石垣は角もきちんとしていますので、積み直されたものと思います。
現地の説明板では、石垣には様々な刻印が押されています。また石は花こう岩で、この山の意思とは種類が違うそうで、島や海岸から運んできたものです。
    写真は本丸の虎口です。本丸の石垣は他に比べると大きい石が使用されています。
亀居城と云われるのは、この城の城地が亀が伏した形に似ていたためです。
    本丸の石垣です。本丸は眺めがとても良いです。本丸を含めると全部で11の曲輪があり、規模も大きな城です。
    本丸にある天守台です。天守台には礎石が残っていますので天守閣があったのでしょうか。

参考  現地説明板等  「よみがえる日本の城7」(学習研究社 2004年11月発行) 

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