安芸城

所在地 高知県安芸市土居廓中 

見学日 20106月18日 

 安芸城は鎌倉時代の1308年安芸親氏によって築かれたといわれる。
代々安芸氏の居城であったが、戦国時代の安芸国虎の時に、土佐岡豊城の長宗我部氏と争いを続けていた。
永禄12年(1569)7月、長宗我部元親は7千名の兵を率いて二手に分かれて出陣して安芸城を目指した。安芸国虎は矢流の険で長宗我部勢と戦うも激戦むなしく破れて、安芸城へ籠城した。長宗我部勢は安芸城を厳重に包囲した。安芸国虎は二十数日間の攻城に耐えたが、城内からの裏切りにより城中の井戸へ毒が投じられたこともあり、8月11日城兵の助命を条件に降伏し、自害した。
安芸氏滅亡後は長宗我部氏の城となったが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの結果長宗我部氏が改易となると、山内一豊の城となり、重臣五島氏が配属された。安芸城は城としては認められなかっため「土居」と呼ばれている。五島氏は屋敷等を整備して行った。
城の歴史は主に 「日本の名城・古城もの知り辞典」(小和田哲男監修 主婦と生活社)
より書いています。

    安芸城の入り口です。内堀、虎口があり入るとすぐに歴史民俗資料館があります。
歴史民俗資料館には土佐藩家老の五島家に伝わる品々を展示しています。
    城の中心の本丸です。本丸は小山のように盛り上がったところにあります。
    土居廓中(どいかちゅう)は、土佐藩家老五島家が安芸城に入ってからここに家臣の役文に応じた屋敷が成立したものです。
藩政時代は、農民も商人もこのこの一廓にはいませんでした。
    土居廓中の生垣です。土居廓中には文化座に指定された屋敷が何件かあり、昔の面影を残しています。

参考 現地説明板等 「日本の名城・古城もの知り辞典」(小和田哲男監修 主婦と生活社) 

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