朝倉城(重松城)

所在地 高知市朝倉城山 城の南側にある北城山公民館より先は車では無理でした。 

見学日 2010年6月21日 

 

 古くは重松城とも云います。長岡郡本山城主の本山梅慶は、天文年間に土佐中央部に一大勢力を確保し、これを維持する為に、軍事的地理的に重要なこの地に築城して、天文9年(1540)年ここに移りました。
永禄3年(1560)年に始まった長宗我部氏との激突は数度に及んだが勝敗は決しなかった。本山梅慶が亡くなるとその後を子の本山茂辰が継いだが、長宗我部氏に押され気味になり、永禄6年(1563)1月ついに城を支えることが難しくなり、城を焼いて本山城へ退去します。城はその後廃城となったようです。

 

    朝倉城は規模の大きい城で、現地の説明板では県内随一の規模を誇る中世城郭とありました。
写真は北城山公民館近くの登り口(城の南側)を少し登ったところです。この登り口から城の中心部までは徒歩約15分です。
    詰の段(城の中心地)の下側の石垣です。中世戦国の城にしては、いたるところにこのように低い石垣があります。低い所は城の遺構ではなく、農業用の土留なのかもしれませんが・・・・。
    詰の段です。詰の段は2つに分かれてあり、この写真の西側には詰西の段があります。
高知の城は曲輪のことを、「郭」あるいは「丸」という文字を使わず「段」といっているようです。
    二の段の虎口です。写真で分かるように丸石を使用した石垣になっています。
    写真は三の段に入るところの虎口だと思います。ちょっと記憶がはっきりしません。
城の遺構は全体的に、規模が大きく大きな空堀と石垣が印象に残りました。

参考 現地掲示板等 

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