高知城

見学日 2004年11月5日 クラブツーリズムに参加、その他にも1度
所在地 高知県高知市丸ノ内1丁目 平山城です

 江戸時代の現存天守閣が残っている12の城の内の一つの城です。高知城は山内一豊によって、鏡川と江之口川に挟まれた大高坂山に築かれました。山内一豊は関ヶ原合戦の戦功により遠江の掛川5万石から、土佐24万石の城主となります。それまでは長曾我部氏が治めていましたが、関ヶ原の合戦に西軍に味方したため土佐1国を没収されます。1601年から築城を初め、1611年に三の丸が完成します。1727年に火災に遭い、天守閣はじめ建造物の多くを焼失します。現在の天守などの建物は1748年頃に再建されます。
山内一豊と云えば、賢夫人の千代が有名で、馬を牽いている像が大手門近くへあります。
また高知市内には、維新の英雄坂本龍馬・武市半平太関係の幕末の史跡なども多くあります。

 大手門を内側から見たところです。門の柱が石垣の手前にあるので、門の上の建物が石垣をはみ出して作られているのが分かると思います。これを懸造りと云い、下を通る敵に対して上から攻撃することが出来ます。表側に面するところは枡形になっています。
 写真の左側が本丸で右側が二の丸で、その間の空掘にそれをつないで建つ廊下橋(上の2階部分)で、下は詰門です。廊下橋を渡り廊下橋門櫓をくぐると本丸の石垣に出ます。
 高知城の天守閣とその前にある本丸御殿です。天守閣と本丸御殿が昔のまま現存しているのは、この高知城だけだと思います。本丸全体が現存しています。山内一豊は望楼式の天守が好きだったようで、掛川城の天守も同じ洋式だと云われます。望楼式の天守とは、写真のように天守閣の最上階に回り廊下(廻縁)がついていて、そこから四方を眺めることが出来るものを云います。
 。本丸御殿はここはお客をもてなしたり城主が休息したところです。写真は、本丸御殿正殿の上段の間です。写真の奥の一段高いところは藩主等が座る位置で、その左側の襖の奥は武者隠しになっています。
 左側が廊下橋で、それに続き石垣上に建つのが廊下橋門櫓で、中央後ろ側が天守閣です。
 正面の入口である廊下橋門の反対側にある、本丸の搦め手口に位置する黒鉄(くろがね)門です。本丸の石垣は複雑な形をして、横矢が掛かるようになっています。

参考 現地説明板等
    「名城を歩く8 高知城」(寺田正一編集 PHP研究所 平成15年7月1日) 

 

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