櫛崎城

見学日 2011年12月3日 

所在地 山口県下関市長府宮崎町

 櫛崎城は大内氏の重臣内藤佐衛門太夫隆春が築城したものとされる。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦において西軍に加担した毛利氏は防長2州に厳封され、これに伴って山口に居を構えていた毛利秀元公が長府藩5万石の支藩としてこれを再築し入城、爾来雄山城と称した。
元和元年(1615)に徳川幕府の定めた一国一城令によって取り壊され、隣接する県立豊浦高等学校の敷地に居館を置いた。
石垣は復元整備されている。
 城跡は関見台公園となっていて、クジラの姿をした展望台(閉鎖されていました)が目立ちますが、その隣が本丸天守台です。

 

 城の南側の端にある天守台です。建築物は何も残っていませんが、写真のように立派な石垣が残っています。
 やはり天守台の石垣です。
 写真でも分かると思いますが、かなり大きな石で築かれています。
 本丸を南側に降りると海岸に出ます。
 本丸から北側に降りると写真のように長く直線で続く、二の丸の石垣があります。
 高さ約6メートル前後の石垣が170メートルくらい続いていました。
石垣の上には普通の民家が建っています。
 三の丸になりますが、城の一番北にある豊功(とよこと)神社です。
 神社の左側に土塁跡のようなものが見えましたが、城の遺構かどうかは分かりませんでした。
 ここからは海が良く見えます。

 参考 現地説明板等

城の目次へ戻る 

トップへ戻る