小倉城

見学日 2011年12月3日 当日は市役所の地下駐車場を利用しました 

所在地 福岡県北九州市小倉北区

 関門海峡を抑える要衝の地の小倉は昔から争いが続き、この地を領有する城主の交代も激しかった。天正15年(1587)年の豊臣秀吉の九州仕置きにより、毛利勝信が6万石で入部し城を改修した。関ヶ原の合戦で毛利勝信は西軍に味方したため、代わって細川忠興が豊前一国と豊後の一部の計39万9千石で入部した。細川忠興は当初中津城へ入ったが、慶長7年から小倉城を大改修してここを居城として移った。
細川氏は寛永9年(1632)に肥後へ54万石へ転封となり、その後には小笠原忠直が15万石で入り明治に至る。
 幕末の第2次長州征伐に際して、小倉藩は幕府側として長州藩と戦ったが、その戦闘で、自ら城を焼き城を退去している。

 

   小倉城の天守閣は天保8年(1837)に火災により焼失した。
 写真の現在の天守閣は、昭和34年に復元されたもので、必ずしも昔の姿に忠実とはいえないそうです。
 小倉城の天守閣は南蛮造りと云われ、4層と5層の間に造られる屋根がなく、また破風も無い。さらに4層より5層が大きいのが特徴となっています。 
    城跡は勝山公園となっていて、その中に天守閣の東側に小倉城庭園、天守閣の北西方向へは八坂神社があります。
 写真は、左手本丸の石垣を東側から写したものです。
    八坂神社手前の水堀と、石垣とその上にある塀です。
    槻門(けやきもん)跡の石垣です。
 小倉城の外堀では、近年障子堀が見つかっています。場所は篠崎口門〜清水口門にかけてですが、
西日本で障子堀が見つかる例は少なく、九州では初めての発見だそうです。

参考 日本の名城・古城もの知り事典 小和田哲男監修主婦と生活社
    城郭と城下町9 小学館
    現地説明板等 

城の目次へ戻る 

トップへ戻る