中城城(なかぐすくじょう)

見学日 2003年11月20日 近畿日本ツーリスト歴史倶楽部
所在地 沖縄県北中城村字泊

 中城城は、琉球の名築城家護佐丸が座喜味城を築いた後に、この中城城へ赴任しました。城は中城湾を見下ろす標高140〜160メートルの石灰岩の台地を取り囲むようにあります。北側(北東方向)はなだらかな斜面になっていますが、その他の3方向は急斜面となっています。
 護佐丸は中山が北山を攻める時に、活躍してその名は国中に知れ渡るようになりました。その護佐丸がこの地に来たのは、勝連半島の周辺地域を支配して力を付けてきた、勝連の按司阿麻和利(あまわり)から中山を守るためと云われています。
しかしその護佐丸も、阿麻和利の策略により中山の攻撃を受けることになります。中山軍が、反乱者として護佐丸のいる中城城へ攻めてきたのです。しかも、その総大将は阿麻和利でした。中山軍に刃向かう意志のない護佐丸は、それを見て無念の自害をとげます。その阿麻和利も、後に中山軍と戦い勝連城に籠もりますが敗れます。以上が阿麻和利・護佐丸の乱と云われるものです。

 中城城は護佐丸によって築かれたと云われますが、郭によって石積みの技法が異なるために、護佐丸以前に城があったと考えられています。
写真は、手前の馬場と云われる広い平地から、三の郭を見たところです。
 三の郭の右側にあるアーチ門です。中城公園に入っていくと正面にありますが、実はこちらは裏門です。この門を入ったところは、北の郭になっています。北の郭には石で出来た立派な井戸がありました。水の手を確保するために、拡張されたと考えられているそうです。
 三の郭の入口です。後ろに見える城壁は二の郭の城壁です。三の郭と北の郭・西の郭は、他の郭と石積みの技法が異なることから、後から造られたものだと考えられています。沖縄の城の石積みは、「布積み」は「乱れ積み」に比べて古い積み方と考えられています。本州の城を見ていると、切石を加工した布積みの方が新しいように思えてしまいますが・・・・・。一般的に、沖縄の方が本州の城よりは石積みの歴史も古く、技法も勝っていたようです。
 二の郭の城壁です。見たことはないのですが、写真などで見る中国の万里の長城の城壁を、思わせます。外側は60センチほど高くなっています。
 二の郭と一の郭の間にあるアーチ門を一の郭から見たものです。この城の中心となるところが一の郭で、首里城の正殿のような建物があったと思われます。
 こちらが正門です。右側の城壁は南の郭です。門(写真では単なる通路)の両側の石垣の上に木の門を付ける二階造りの楼門造りになっていました。この門を入ったところが西の郭になっています。西の郭は、長さが120メートルもある細長い郭で、弓や兵馬などの調練をしたところだとも云われています。

参考 「沖縄の城ものがたり」(金武正紀ほか三名共著 むぎ社発行)
    現地説明板等

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