今帰仁(なきじん)城

見学日 2003年11月19日 近畿日本ツーリスト歴史倶楽部
所在地 沖縄県今帰仁村字今泊

 琉球はグスク時代を経て、各村の首長である按司(あじ)のなかの有力な按司(あじ)が、周辺の按司を滅ぼし勢力を拡大していき、やがてそれは三つの勢力圏になります。北にあったのを北山、中にあったのを中山、南にあったのを南山と呼び、14世紀初め頃から琉球は、三山時代に入ります。今帰仁城は、その北山の首城です。三山の中国の明との交易回数を見ると、北山13回、中山60回、南山27回です。
1394年、北山は武勇に優れた攀安知(はんあんち)が王になりましたが、武力に頼るあまり一族達とも仲が良くありませんでした。1416年中山の尚巴志は、北山討伐の軍を起こしました。2千の兵で今帰仁城を攻撃しましたが、城の守りは堅くなかなか攻略出来ませんでした。しかし部下の裏切りにより、落城します。以後は北山監守が置かれますが、1665年廃城になります。
1609年3月、島津氏のが琉球に侵攻してきます。島津軍は最初に、琉球の北部の島を次々に攻略します。そして沖縄本島ですが、今帰仁城近くの運天港に上陸してこの城を陥落させます。

 城の外郭から見た大隅(うーしみ)の城壁。今帰仁城の城壁としては、一番見事なものです。横矢を射ることが出来るようにだと思いますが、城壁は屏風型(波形)になっています。この城壁も1962年から修復されたものです。
 今帰仁城は標高80〜100メートルの石灰岩の上に築かれた城です。写真は大隅(うーしみ)の城壁の南側にある、平郎門です。今帰仁城の正門で、門の左右には銃眼があります。更に門の両側が張り出していますので、横矢が架かるようになっています。
上の平郎門を内側から見たところです。左右の銃眼がよく分かると思います。銃眼と云っても当時はまだ銃が出来てはいませんでしたので、兵士が二人ぐらい入って、弓などで攻撃したのだと思います。この門は、1962年に修復されたものです。
 今帰仁城の主郭です。1982年から4年間発掘調査が行われ、主郭には多くの礎石があり北山時代には北と南に建物が建っていたようです。
 主郭から見た南側の志慶真門郭(しじまじょうかく)です。写真中央の看板が見えるところが城門でした。この門は裏門に当たります。
この郭も1980〜1982年まで発掘調査が行われ、それによると4棟の建物があり、城内の重要な場所であり、按司の家臣達が生活したところのようです。

参考 「今帰仁城跡」(今帰仁村教育委員会発行)
    「高等学校 琉球・沖縄史」(新城俊昭著 編集工房東洋企画)
    「沖縄の城ものがたり」(金武正紀ほか著 むぎ社発行)
    現地説明板等

城の目次へ戻る