杵築城

所在地 大分県杵築市大字杵築城山

見学日 2011年12月2日

 大友氏の一族が木付に住み、木付氏を名乗り木付城を築いたのが始まりです。木付氏16代木付鎮直の時に島津氏の武将新納武蔵守の猛攻を受けるもこれを撃退する。しかし文禄2年(1593)に主家大友義統が、朝鮮の役で豊臣秀吉の怒りにふれ大友氏は滅亡する。これに伴い木付氏17代の木付統直は切腹して木付氏は滅びます。
正保2年(1645)には、能見松平秀親が3万2千石で城主となり、前の城主杉原氏が手掛けた城の平地移転を完了した。3代藩主松平重休の時に、徳川家からの朱印状に木付の文字が杵築と書き違いられ、それから杵築と書くことになった。
松平氏は明治4年廃藩となるまで続きます。

 

 城は町の東側の高台にあり、城山公園になっています。公園化され、城の遺構はあまり残っていません。
写真の天守閣は昭和45年に新築の鉄筋コンクリート製で、日本一小さいといわれるそうです。
館内は資料展示室になっています。
 模擬天守閣の北側にある杵築神社に、藩主の御殿がありました。
写真はそこの庭園跡で、他に土塁や石垣がありました。
 杵築市内は、九州豊後の小京都とも云われ、写真のように城下町の雰囲気が良く残っています。武家屋敷は北側の台地に北台武家屋敷、南側に之台地には南台武家屋敷があり、その間の低い谷のようなところが商人の町になっています。
 写真はやはり当時の面影をよく残す武家屋敷です。

北台武家屋敷には藩校学習館の門が残っていますが、この門は今も杵築小学校の門として使用されています。
  写真は北台武家屋敷にある、大原邸の門です。大原邸は杵築藩の家老上席を務めた家です。伝えるところによるとこの建物は、杵築藩の分家で支領であった松平家のものという格式のある門です。

参考  杵築市の観光パンフレット、説明板 

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