中津城

 

所在地 大分県中津市中津二の丸本町
見学日 2013年12月2日 

城跡は、中津公園になっています。中津川に面して築かれています。この城は天正15年の豊臣秀吉の島津征伐に功のあった、黒田官兵衛に与えられ、官兵衛はここに城を築きました。領内には黒田氏に服属しない豪族が多くいて、工事を妨害しそのため工事はなかなか進まなかったといわれます。
この黒田氏にもっとも反発したのは、城井谷にいた宇都宮氏でした。宇都宮氏は鎌倉以来の名族で、先祖代々の地を離れるのを拒否していました。このめ黒田官兵衛は、宇都宮氏の城井谷を攻撃しますが、天嶮の要害にあるため、落とすことが出来ませんでした。そこで黒田官兵衛は、騙し討ちにしたと云われます。
 黒田家が関ヶ原の合戦後に筑前に移封された後には、細川氏が入りその後は小笠原氏が入りました。享保年間には奥平家が入り、幕末を迎えます。

 

 中津城の本丸の石垣は、黒田時代の石垣と細川忠興時代の石垣を見ることが出来ます。
中津城と云えば、写真のような黒い塀の模擬天守閣の姿が紹介されますが、この城には天守閣は
築かれなかったそうです。
 写真は増築された石垣です。
この場所に明治になってから道路を通したために、築城当時の石垣が今よりも低く、幅も狭いものでした。
その後増築していまのような高さの石垣にしました。
 中津城の石垣です。写真のように、水堀とともに城の石垣は良く残っています。
 細川忠興は、隠居して三斎と名乗ります。隠居した後中津城へ移り、城下町などを整備します。
この時に城内の水不足を補うために、水道工事を行いました。その水をたたえたのが、この池で
細川忠興の号、三斎の名を冠して「三斎池」と云います。
 中津城の天守閣は、昭和39年に元中津藩藩の藩主奥平家の当主が中心となって築いたものです。

 参考 「城郭と城下町10 南九州・沖縄」(小学館)
     現地説明板

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