唐津城

見学日 2006年11月18日(日) 歴史探偵クラブの見学
所在地 佐賀県唐津市

 唐津の地は、松浦等を束ねる波多親(はたちかし)の所領だったが、文禄の役で、豊臣秀吉により改易処分を受け、後には寺沢氏が入る。寺沢氏は主に九州各地の大名の協力より、慶長7年から13年に掛けてこの唐津城を築きます。この際には、名護屋の資材等を利用したと言われています。城唐津城は梅に面した半島状のところにあります。
 寺沢氏はその後2代のときに、藩主が自殺したため改易処分を受け、その後は譜代大名が入部し、幕末には小笠原氏が6万石で明治維新を迎えています。

 

 肥後堀と石垣です。肥後堀は三の丸と外曲輪を分ける堀ですが、堀が残っているのはこの辺りだけです。石垣の右端に見える隅櫓風の武者は、公衆トイレです。この堀の内側(北側)が三の丸になっていて、最も広い曲輪です。
この肥後堀と石垣の直ぐ内側は、現在では市役所になっています。
 石垣の散歩道と呼ばれるところです。三の丸の北側に残る石垣が、写真左手の石垣で続いています。
 写真は、二の門外堀です。この堀の内側(写真左手)が、二の丸で、外側が三の丸です。
 三の丸辰巳櫓です。手前は町田川です。
 本丸の下の段にある石垣と櫓です。直ぐ近くまで海が来ています。
 唐津城の模擬天守閣。唐津城には天守台はあったが、天守閣は無かったと言われている。現在の天守閣は昭和41年に造られたものです。

参考 「からつ歴史考」(唐津市 平成6年10月22日)
    「日本名状図鑑」(西ケ谷恭弘監修 理工学社 1996年10月25日) 

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